私と掌せき膿庖症とのプロローグ花

 平成8年の秋、私が主宰しているダンススタジオの公演を控えてその準備におおわらわだった時、 右手のひらに 膿 のような発疹があることに気付きました。
 かかりつけの医院の医師は手のひらを診て塗り薬をくれただけで、私も簡単に治ると思っていました。これが私と掌せき膿庖症とのプロローグです。

 発疹は左手のひら、両足の裏にも拡がりどんどん悪化しましたが「ストレスからくることもある」との医師の言葉を信じて、公演が終れば治るものと思っていました。しかし病気はどんどん悪化して、公演が終って精神的に解放されても治りませんでした。 そして車の運転中のわずかな振動でも、またレッスン中でも首から肩、腕、背中、腰にかけて耐えられないくらいの激痛がおこるようになりました。 どの皮膚科医院でも「どうしてこうなるのだろう」と医師は塗り薬を塗り、包帯を巻くだけでした。

  このように何処の病院や医院に行っても「原因は不明で治療法もないから一生病気と付き合うつもりでいるように」と言う決り文句だけがかえってきました。 私は手足の発疹や全身の痛みを人に知られないように気を張ってきた疲れと、仕事が出来なくなる不安感で頭の中が混乱してしまい、このまま生きていてもつらくて苦しいだけと、人生に終止符をうとうとさえ思いました。

 そして、遂に『別れ』の意味を込めて生徒達に病気の事を始めて話しました。 すると生徒の一人が同じような病気の事が新聞に紹介されていたと言って、翌日そのコピーを持ってきてくれました。それには近くの国立療養所秋田病院の前橋先生が掌せき膿庖症の治療をされていることが書かれていました。
青い鳥
 すぐに前橋先生の診察を受けましたが、先生は私の病気が掌せき膿庖症性骨関節炎であること、従来治らないと言われてきたが「治る」ので安心して良いと言われました。その瞬間「治るのだ」と、私の人生に光が差し込んできたように感じてボロボロと涙を流してしまいました。 前橋先生の治療と励ましのおかげでどんどん快方に向かいました。

 つり銭を受け取るのに恥ずかしい想いをしなければならなかった手のひら、ボロボロの爪、素足になれなかった足の裏の発疹……。みんな薄皮を剥ぐように消えてきれいになりました。体の中の激痛も嘘のように無くなり、ダンスの指導も全く支障がなく出来るようになりました。

 私は身心共に健康を取り戻して、今健康の素晴らしさを満喫しています。私の知人の中にも二名、この病気で苦しみ悩んでいましたが、前橋先生の治療のおかげで今は元気で仕事をしています。 私はこの病気になってからマスコミの健康相談番組や健康欄につとめて目を向けるようになりました。  

健康な人  皮膚の病気がテーマになるたびに掌せき膿庖症についての相談がありましたが、どの皮膚科の教授の解答もかつて私がどの病院でも言われてきたことと全く同じでした。

  結局「治らないのであきらめるように」と言うことであり、相談された視聴者が余りにも気の毒で、私の経験を相談者に伝えてもらえるよう毎回、電話、FAX、手紙で、担当者にご依頼してきました。 一人でも多くの人に「この病気は治りますよ、前橋先生が治療してくれますよ」という私の声、私の願いは残念ながら届けてもらえません。

 私は幸いにもこの病気から解放され、本当に健康を取り戻しているのですが、これで私と掌せき膿庖症とのエンディングというわけにはどうしても出来ません。私とこの病気とのエンディングの曲が流れる時、それは今でもこの病気で苦しみ悩んでいる人たちに前橋先生の治療が受けられるような道を作り、そして日本全国に知れ渡った時、その時だと思っています。                                                       

 平成9年11月1日  
記  最上谷 智和子

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