海外リポート (T

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―海外における掌蹠膿庖症の現況 パートT―

アメリカから秋田へ行くまで

アメリカ在住 H・H 女性 38歳

自由の女神   私は現在、アメリカのテネシー州に住んでいます。 私の身体に異変が起こったのは2000年の5月でした。祖母の法事のため日本に里帰りをしてまもなく、胸から右腕にかけて痛みが起こり次第に強くなっていきました。

  受診した整形外科医から、ヘルペス後神経痛"を疑われ皮膚科へ行くように勧められました。私にはヘルペスを患った記憶がなかったのですが、改めて受診をした皮膚科医からもヘルペスと診断され、注射と薬の治療を始めました。

  しかし、痛みは益々ひどくなり、再度別の皮膚科と整形外科へ行きました。そこでヘルペスでないと否定されたものの、身体の痛みが何からくるのか結局何処でも分らずじまいでした。 その後、不安を抱えたままアメリカに戻った頃には箸も持てなくなっていました。

  アメリカは日本と違って総合病院的な病院というものはなく、ドクター個人がそれぞれにオフィスを持っています。ですから私達日本人家族も、内科医、小児科医、産婦人科医、歯科医などそれぞれに決まった、かかりつけのドクターを持っています。

  受診する時はそれぞれの、場所もばらばらなオフィスを訪れなければなりません。しかも必ず予約を取りますが、初診の時は何ヶ月も先になることがあります。
  内科の主治医に相談してMRIを撮り、検査を受けました。頚椎ヘルニアの疑いがあるということで手術を勧められましたが断り、数ヶ月リハビリに通う事になりました。

  その頃から足の裏に小さな水泡が出はじめたので、初めて皮膚科へ行こうと思いました。イエローページ片手に30軒以上も電話をかけて、1番早く診てくれる所(1週間後)へ行きました。医師は検査もせず診ただけで水虫と診断し、飲み薬と塗り薬を処方しました。 リハビリに通いながら皮膚科へも行くという日々を送り、胸の痛みは身体が慣れてきたのか随分と楽になっていましたが足の方は一向に良くなりませんでした。

  次に行った皮膚科は、小さな建物でしたが皮膚科医が3名で開業していました。検査結果"乾癬"という診断をされました。その頃の私は、日本、アメリカと関係なく、医師に対して不信感を持っていたのですが、皮膚を切り取っての検査の診断に間違いがあるはずは無いと自分に言い聞かせ、アメリカの"乾癬"の治療を始める事にしたのです。紫外線照射療法を中心として補助的にステロイド、ビタミンA、D軟膏の塗布を続けましたが良くならず、手の平にまで水泡が出るようになってしまいました。

  治療をしながらも、毎日インターネットで"乾癬"についていろいろなページを見ていたある日、ふと疑問に思ったのです。「なぜ、私の症状は手の平と足の裏だけなのだろう」と。日に日に疑問は強くなり、何か他の病気ではないかと思い、あらゆる文字で検索してみました。
  そして2001年4月、"掌"という文字でアキタコマチさんのホームページ『掌蹠膿庖症を完治して』にようやくたどり着きました。

  私は早速、アキタコマチさんにメールを送りました。すぐに返事がきて、日本へ行って前橋先生の治療を受けことを決心するまで、そう時間はかかりませんでした。もちろん不安がなかったわけではありません。高い旅費を払ってまで日本へ行かなくても、このアメリカにもこの病気を治すドクターがいるのではないか? しかし今まで治らなかったという現実を何度も何度も考えて、私の気持ちは秋田へと向かっていたのです。

お医者さん   大きな期待を持って前橋先生の診察を受けました。やはり私の病気は掌蹠膿庖症でした。そして骨にまで病変が及んでいた為に、掌蹠膿庖症性骨関節炎とも診断されました。

  思い立ったら即実行の私に、夫も日本(熊本)にいる両親も、最初は戸惑っていたようですが、治るのか治らないのかわからない病気をかかえての日々はとても辛いものです。 先生に病気の原因や治療法の説明をうかがって、ずっと続いていた胸の痛みは骨の異常からきていたことを納得しました。 もしも前橋先生がアフリカにいたとしても、私は会いに行ったでしょう。

  アメリカのある高名な皮膚科医学者が、この病気は日本とヨーロッパの1部の国々で報告されているだけで、アメリカにこの病気は無いと発表した為に、この病気は未だに市民権を得ていないということを知りました。そして、患者が増えている現在でも、乾癬の一つのタイプとして扱われているにすぎないということをお聞きし、私はそれまで心の奥に抱えていた全ての不安や疑問が、一気に解消したような気持ちでした。

  常に世界の先端の医学と誇っているアメリカで、治療を受けても治らずにいた現実と、この病気を治せる医師が実は日本におられる日本人で、しかもこの病気の研究を、国からも何処からも全く援助も無く個人でされたことに驚き、改めて日本人として誇りに思いました。 私の正式の病名 『sternocostoclavicular hyperostosis』 はアメリカの皮膚科の教科書にはありません。                                 

July.16.2001


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