海外リポート 5)

―海外における掌蹠膿庖症の現況―

アメリカ(アリゾナ)から秋田へ

アリゾナ在住 K・I  女性 31歳

秋田へ    私の病気が発病したのは今から6年ほど前だったでしょうか、まだ私が都内 の会社で 働いていた頃です。ある日、突然手の平に小さな一つの水疱を発見しました。今でもその時の事をはっきりと覚えています。「水疱か...なんでこんなところに・・・ええい!潰しちゃえ!」。そう思って爪の先でその水疱をはじき潰しました。そのときはこの水疱が実は単なる水疱でなく、この先長い間共にする「膿庖」とも知らず...。

   その後、その「水疱」と思っていたものが次々と出ては消え、そしてそこから皮が剥 け、範囲が拡がる。しまいには両手に出来、何故か足の裏にも...とあらよあらよという間に病気が進行してしまいました。会社からすぐの都内の有名な某総合病院の皮膚科に通院し、最初の先生は「菌がないので不明」とだけ説明して単にステロイドの軟 膏とかゆみ止めの飲み薬を使用していました

 しかし病状は一向によくならず、途方にくれているとその担当の医師がその病院を辞めて、私の担当医が代りました。そこで新しい担当医は2回ほど診察した後「おそらく掌蹠膿庖症という、治療の大変難しい、そして一生付き合わなくてはいけない病気でしょう。」と診断されました。「ある日突然治るかもしれないし、またある日突然また再発するかもしれない。特定の治療法も分からない。」といわれ途方にくれました。

   その後紫外線治療も試みましたが、かゆみがよけいにひどくなるので先生に頼んで止めてもらいました。そして治療はただただステロイドの塗り薬、かゆみ止めの内服薬、そしてビタミンDかなんかを処方箋でもらっていましたがほとんど回復の兆しもなく日が過ぎて行きました。そして1年ほど経った時、急に手の平の膿庖が全くなくなり、元のままのきれいな手の平に戻りました。そのとき、「ああ、これはやっぱりこの通り意味不明で突然治ったりするものなんだ...じゃあこのまま足の方も治る日が来るのかな。」と嬉しく思ったものでした。

   その時、以前から計画していたアメリカ留学の時期も迫ってきていましたし、まあこのままこんな感じで治っていけばいいな...程度に思っていました。 アメリカに来てからも足の方は一向に治らず、ひどくもならなければよくもならない一定の状態でしたが、なんとなく範囲が拡がってきているような気がしていました。 膿庖が出てきては消え、痒いし、皮膚はかたいし....。ただ手の方は全く治っているように見え、普通でしたのでただただ何故足だけが治らないの?と疑問に思っていました。

   そんな毎日が過ぎて早くもアメリカ生活も3年目を過ぎた去年の6月頃です。 長い間吸っていたタバコも1年以上前から健康の為に止めていたし、足の膿庖も消えればいいな〜と思っていた矢先に、右手の平に5〜6個のあの嫌な「膿庖」を発見したのです。手に再発したのを見て、ものすごく嫌な予感が頭をよぎりました。最初の1〜2ヶ月は小さい範囲で出ては消え、といったお決まりの様子でしたが、9月にはいると範囲が拡がって、きてかゆみも増してきました。ただただ何故?という疑問と悲しみ、将来に対する不安とがまとまって頭の上にのしかかってきました。

   「ああ、これはもう私一人ではどうしようもない」。ひどくなってきた手の平を見て、インターネットでまず手当たり次第に「皮膚の病気」といった感じで検索し始めました。その時はすっかり「掌蹠膿庖症」という病名すら忘れていたのでした。何度か検索していくうちに病名を思い出して、すぐに検索するとアキタコマチさんのHPにたどり着く事が出来ました。というかアキタコマチさんのHP以外にはズバリ来るものはなかったように思えます。ホームページを読めば読むほど次々と私の病状に納得するばかりで驚きました。そこで秋田病院の事を知り、遠いアメリカとはいえ、いてもたってもいられなかったのを今も昨日のように覚えています。

 ああ、こんな時に日本にいればすぐにでも秋田に行くのに...と好きなはずのアメリカに今自分がいることをとても疎ましく思いました。と同時に「こんなアメリカにいても治療はできるのか?」と不安に思いました。でもホームページには他国から秋田に行った人の話しも掲載されていたし、海外の人にも希望を捨てないようにというメッセージもあったので、とても力強く思ったのを覚えています。とにかく、このホームページを見つけたことで、どれだけ精神的に救われたか言葉に出来ません!!遠いアメリカにいて誰にもこんな意味不明な病気を相談できずとても辛かったのが、ものすごく希望が持て、完治という言葉が嘘ではないと思えてきたのです。   

 早速、秋田病院の情報も知りたかったのでアキタコマチさんへメールを書こうと思ったのですが、色々な理由があるようでメールアドレスが載っていなかったのでそこでまた壁にぶつかった気持ちでいましたが、紆余曲折しつつもラッキーにアキタコマチさんから逆にメールを頂き、大変ご丁寧、ご親切なアドバイス、励ましのお言葉、迅速なメールの返事....ただただ感謝...そしてそのあとは秋田に行くだけ!!と思っていましたが、私のビザの関係で今年の5月まで延期になってしまいました。

   そして急に4月の末に日本帰国が可能になり、アキタコマチさんの助けで5月13日に秋田訪問が可能になりました!アキタコマチさんもお忙しい中、会っていただきご協力していただき、たいへん心強かったです。「治りますよ!私も治ったんですから!」という強いお言葉がとても印象的で感動しました。

   秋田病院では各検査、前橋先生の問診、詳しいご説明とありましたが、ここでも先生のこの病気に対する研究の熱心さにただただ感心し、自分の今戦わなくてはいけない病気と正面から向かう事が出来ました。そして「掌蹠膿庖症」は皮膚だけの病気ではない、ということも。私の場合は幸運にもレントゲンの結果、骨の変形はさほど進行していなかったのですが、それでも健常者と比べるとやや予兆がみられました。

   とにかく前橋先生はとても前向きな先生で、そしてフレンドリー。 とてもご丁寧に詳しくこの病気がなぜ、どうやって発生するのか、そしてどうやったら治るのか、すべて明確にご説明していただき、とても希望が持てました。やっぱり海を越えて遠い思いをしても秋田に行った甲斐は200%ありました。今後は先生のご指導のもと、完治に向けてがんばります。今は治療を始めたばかりで、そしてビオチンに即効性はないとのことで、目に見えるような変化はありませんが、長い目でみて頑張って行きます。先日、血液・尿検査の結果をあわせた前橋先生のお手紙を頂きました。とても丁寧に書かれたその文字、一文字一文字に重みを感じ、この先生のご好意にも恥じないように頑張って治さなくてはと再確認しました。

   もしも今、この同じ病気で悩んでいる人がいたら、悩んでいる時間はもったいない!まず秋田に行く事をお勧めします。遠くても「秋田」に行って「前橋先生」に診断してもらう事が大事なのです。なぜなら今回私が秋田に行って直に確信したことは、この病気を研究し、治療法を確立した医師は前橋先生だけです。そして残念ながら、前橋先生の治療法を直接学び指導を受けた医師は一人もいないそうです。だから「秋田」に行くことからはじまるのです。秋田に行ったら、悩みが治していく嬉しさに変わると思います。がんばりましょう!!」

                               

平成16年6月2日


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